日々を過ごす中で、折りに触れて、いろんな言葉が頭の中に浮かびます。
それらの言葉をちょっとメモしておいて、その言葉をきちんと文章に拓いていく。
この仕事のヒントは、そんな風にして書かれています。
最初に頭に思いつく言葉は、「思いつき」のようなものです。
「思いつき」が良いものかどうかは、それを形にすることではっきりします。
良い思いつきだけど形に出来ない、という言葉が成り立つことは理解しています。
しかし日々の生活においてはもっとシンプルに考えたほうがよいと思います。
形にならなかったものを単なる「思いつき」、形になったものを良い「アイデア」と言う。
この言い方も、日々の仕事の中で、ふと頭に浮かんだものです。
物を書くという観点からすれば、きちんと文章に拓ければ、その言葉は「アイデア」と言えるが、
形にできなければ単なる「思いつき」となります。
形に出来るか、出来ないのか、いまだはっきりしないそんな「言葉たち」がいくつもたまっています。
言葉を拓く時間が取れない、言葉を拓く技量が足りないという個人的な理由によるものです。
時間とともにそれらの言葉は新味を失い、閉店間際のマダイの刺し身のような感じになります。
マダイの刺し身がおいしいことは分かっているけど、目の前のその刺し身を食べたいとは思わない。
言葉も同じで、その言葉が正しいことはわかってるけど、インスパイアされないし、説得力も感じない。
閉店間際まで残ってしまいそうな言葉たちがたまってきています。
とりあえず、今回はそういうものを断片的に書きます。
すべてがマダイのような言葉とは思いませんが、中には仕事のヒントになるものもあるでしょう。
毒は入っていないので、味見感覚でちょっと試してください。
情報を増やすことと、情報の読み解き方を増やすことは、別のことだ。
どれだけ情報を仕入れても、それに必要な読み解き方を知らねば意味がない。
あらゆるものを金銭的価値で読み解く?自分はいくらの価値があるのだろう?
何をどのように読み解けばよいのか?
問題を可視化するための仕事と、問題を解決するための仕事がある。
多くの失敗は、前者を蔑ろにして、後者に必死に取り組むことにより起る。
解決を急がれているというのは事実だが、問題を直視したくないという心理もある。
どんな意見にも一理ある。完全な間違いは存在しない。
だから親や教師や上司など、権力を持つ人間の言葉は危うい。
自分の言葉の中の一理を力で押し通すことが可能だからだ。
自分の一理を押し通すなら、子どもや生徒や部下の一理に耳を傾けなければならない。
どんなやり方にもそれが機能するケースと機能しないケースがある。
人にやり方をアドバイスするときに必要なのは、そのやり方の機能しないケースだ。
自分がやれば機能するやり方でも、相手には機能させられないやり方もある。
そういうやり方を無自覚のうちに善意でアドバイスしていないか。
「いくらですか?」と聞かれれば、「3歳です」でなく「3千円です」と答えねばならない。
あらゆる答えは問いによって限定されている。
きちんとした結果を出すためには、問いを明確にすることが必要だ。
部下に対する指示はひとつの問いといえる。部下は上司に答えではなく問いを確認する。
子どものころから、問題を良く読みなさい、と言われた。
多くの場合、人は読み間違えた問題に、正しく答えている。問いと答えはかみ合っているのだ。
仕事において問題とは、現状のことだ。過去から現在に至る経緯のことだ。
関係者が同じ現状を把握していることが、問題を良く読み、共有していることになる。
答えはそれにかみ合ったものになるだろう。
達成目標を共有することも必要だが、割ってはいけない下限を明確にすることはもっと大切だ。
一発逆転を狙って、雪だるま式に借金を重ねるギャンブラーのように、人はどこまでも落ちていくことが出来る。
「やるべきこと」と「やってはいけないこと」の明記。
言葉の共有とは、その言葉を説明する言葉がどれだけ共有できているかによる。
たとえば「父親」という言葉を共有しよう。
自分が思い浮かべる映像や言葉、その中身と同じ人はいない。
言葉を共有したとき、何を共有していないのか。
まだまだ、いろいろあるのですが、時間もなくなってきたので、今回はこのあたりで終わりにします。
最後に書いたように、言葉の共有は短い言葉ほど簡単です。
相手がその言葉を知っていれば、勝手に中身を想像して、わかった気になれるからです。
言葉を拓くのは、細部を確認するためです。自分と他者の違いを確認するためです。
仕事にスピードが求められる中、そんな時間がなかなか取れないと思います。
しかし共有する言葉が少なければ、言葉を共有しても、想像や考えはズレていきます。
そんな状況では、結果的に形にならないことが増えるでしょう。
本当は正しいのかも知れない言葉が、「アイデア」でなく「単なる思いつき」になります。
そうなると「言葉」がさらに軽視されることになるでしょう。
軽視された言葉は、さらに形にすることが難しくなります。
そして言葉そのものが軽視されていきます。
言葉が機能しない社会や会社は、居心地も悪そうだし、生産性も低そうです。
そういうの個人的にいやだし、次の世代にもそんなもの残したくないですね。