「現在」って何のためにあるのだと思いますか?
私は「過去」と「未来」を1つに繋げるためにあるのだと思います。
流れという意味では、過去から現在、そして未来というひとつの流れは確実に存在します。
しかし、流れがつながってるだけなら、そこに見いだされるのはただの「変化」です。
「時間」を「変化」から切り離すなら、そこに求められるのは「内容的な一貫性」や「意味の継続性」です。
大事なのは、過去と現在と未来が内容的に1つにつながっていること、1つのストーリーとなっていることです。
人間の人間性を破壊する簡単な方法の1つは、その人間がやっていることを無意味化することです。
料理をきちんと作らせては、目の前でトイレに流す。そういうことを何度も何度も続ければいい。
自分は何のために料理をしているのか、その意味が分からなくなる。そういう時、人は崩壊します。
(逆に、やっていることの意味が分かっていれば、多少の苦労や辛さなど問題になりません。)
誰かが昨日から何も食べていないで、お腹を空かせている。(過去)
だから自分が料理を作る。(現在)
それを食べた人が、満たされる。(未来)
ここには、過去と現在と未来が1つの内容的な一貫性があります。
「料理を作る」という現在は、過去と未来を繋げるために存在しています。
誰もお腹を空かせていないのに料理を作る。(過去が見えていない)
お腹を空かせた人がいるのにゲームを与える。(現在が見えていない)
自分では作れない料理を作ろうとする。(無理な未来を見ている)
過去と現在と未来が内容的につながっていないと、こういうことが起こります。
当然ですが、いくら努力しても、意味のある出来事は起こりません。
仕事でいえば、長時間一生懸命働いているのに、労働生産性が上がらないことになります。
おそらく今の日本社会は、上手く時間を作り出せなくなっているのではないかと思います。
それゆえ、一生懸命働いているのに労働生産性が低いのではないか。
日本の1時間あたりの労働生産性(2018年)は46.8ドルでOECD36加盟国中21位です。
(ちなみに1位アイルランドは102.3ドル、6位アメリカは74.7ドルです。)
日本人、個々人の能力がそんなに低いとは思いません。教育水準だって世界的に高いほうです。
にもかかわらず、1時間あたりの労働生産性が低いのはなぜか。
そう問いを立てたときに、時間を上手く作れないからではないかと思いました。
過去と現在と未来に内容的な一貫性を作れない。ストーリーが作れない。
そう仮説を立てると、それに関連する現象が目に留まります。(反対の事例は今後、考えよう)
例えば、正月話題になったコンビニの元旦営業。
あれは「現在」の要求を常に満たすためのものです。
欲しいと思ったときに手に入るという意味では、Amazonなどの便利さも同じです。
また、思いついたときに連絡が取れるメールやラインなども同じです。
つまり、便利になることは、現在の欲求をその時に満たせるようになることです。
現在だけで物事が成り立つので、そこでは「過去」や「未来」が視野から外れていきます。
便利なのはよいことだが、便利さを手に入れたと同時に、
時間を繋げる力を身に付ける機会も失ったのかも知れない。
便利さによって現在しか見えなくなった。
未来についてはどうでしょう。
変化の激しい、とか、先の読めない、という言葉で語られることが多いですね。
現在とは違う何かがあるけど、それは何だかよくわからない。どちらかという不安を感じさせる。
その不明確なものへの準備や対応を求められる。
そんな準備や対応をきちんと出来るのは一部の人だけでしょう。
リスクを考えすぎて動きが鈍る。腹を括って思いっきり動く。
目の前の手元のことしか見ないようにする。
多くの人たちはこんな感じではないでしょうか。
では、過去のことはどうでしょう。けっこう忘れてるんじゃないかと思います。
(じつは、これを書こうと思ったのは、去年の正月を上手く思い出せなかったからです。)
忘れている。覚えているが、現在や未来とつながっていない。
過去がそんな風になっている気がします。
たとえば、東京オリンピックって、すごく低コストで実施するという話でした。でもすごい高コストです。
辺野古基地の工事期間やコスト、それに伴う普天間飛行場の返還、これも当初の話と代わっています。
福島原発事故の廃炉作業に関してもそうです。計画や費用がどんどん膨らんでいます。
過去の話を忘れている。あるいは覚えているけど、現在と内容的につながっていない。
だから、テーマとしての大文字の部分はつながってるが、具体的な内容には一貫性がない。
おそらく、それは現在と未来の間にも起こりえるでしょう。
(来年の正月明けの自分は、これを書いたことを思い出せるだろうか?)
過去と現在と未来がバラバラになる。誰もが現在だけを見て、素早く判断とか行動をしている。
現在だけ見れば合理的かも知れない。しかし、現在は必ず変化し時間は流れるから、その合理性は持続しない。
新たな現在だけを見て、また素早く判断し行動する。また新たな変化が起り、それに対応する。
そういうことが起こっているのかもしれない。
あまり、心楽しい出来事ではない。しかし、もしその通りであれば、やれることはある。
「現在」を「過去」と「未来」を繋ぐために過ごせばよい。
過去の仕事をきちんと振り返り、未来の目標を明確にし、両者を繋ぐために現在やるべきことを明確にする。
そういうことが個人、組織、共同体レベルで出来るのであれば、
過剰な自己責任論や社会の分断も少しは収まり、日本も豊かになるのではないかと思う。
オリンピックが終わったらぼろぼろになりました、などという1年にはしたくないものですね。
今年もよろしくお願いします。