学生時代、ゼミの最中、話しの流れで「考えるとはどういうことか?」という問いが教授から出されたことがありました。
「答えを見つけること」「言葉にすること」「新しい状況を作り出すこと」など、喧々諤々の議論になりました。
学生がその場で思いついた答えです。誰もが納得する正解なんてありません。
最後にみなで教授に尋ねました。「先生はどうなんですか?」と。
「問いを立てることです」
教授の口からは、シンプルな言葉がすっと出てきました。
雨が降れば地面は濡れるものです、というのと同じくらい当たり前な感じで答えました。
その後、折りに触れてこの答えを考えてきましたが、なるほど立派な答えです。
子どものころ、算数や数学の文章題で、問題文を良く読まず、間違った式を作って、
その式に対して正しい計算をして、答えはバツだったという経験はありませんか?
おそらく誰にでもあると思います。
読み違えた問いに対して、きちんと答えているのです。
どんな「問い」を立てるかによって、「答え」は決まってくるものです。
「問い」を正しく読まなければ、いくら演算処理が正しくても、答えは間違いです。
きちんと「考える」ためには、きちんと「問い」を立てないとダメなのです。
例えば、仕事中にミスやトラブルが起こったとします。
「誰が犯人か?」という問いを立てれば、「犯人は伊集院さん」のように、答えは「人」になります。
でも「何が原因か?」という問いを立てれば、「新人向けのマニュアルの曖昧さ」などになります。
問いを立てた瞬間に、答えは限定されているのです。
だから、正しく考えるためには、正しい問いを立てることが必要です。
正しい問いを立てるためには、何が起こっているのか、正確に観察することが大切です。
正確に観察するためには、自分の思い込みを疑うことが必要です。
答えを追い求める前に、問いを確認し、何が起こっているか観察することが大切ですね。